独立独歩−挑戦のすすめ■これからの自然をみつめる
VOL. VOL. VOL. VOL. VOL. VOL.
The Neighbor 2003.7/Vol.353-2003.12/Vol.358
これからの自然をみつめる vol. 第一歩、そして実践 桑原 康生

 なぜ私が19頭のオオカミと暮らすようになったのか。 そのきっかけをお話ししたいと思います。
小さな子どもの頃から動物が好きでしたが、そのときどき興味対象が変わっていきました。
あるときはカバが特に好きだったり、またあるときはゾウ、はたまたキリンと変化がありました。
そのキリンもマサイキリンではなくアミメキリンがいい、というようにかなり特殊化した動物好きでした。
ただ、その好きな動物ベストテンには、いつもトラ、ヒョウ、オオカミといったいわゆる猛獣といわれるような動物たちが常に含まれていました。 小学生のころは、一般的な動物好きと同じように、セキセイインコや小鳥類をかわいがっていましたが、中学から高校に進むにつれ、庭先でキジを飼ったり、タカやハヤブサを飛ばしてみたりと、少しずつおかしくなってきました。

高校生のころは、一時期将来の夢として、鷹匠になりたいと思うようになりましたが、職業一覧に鷹匠というものが存在しなかったのであきらめました。 その後、獣医を目指しましたが、数学が苦手で断念し、英文科に進みました。
卒業後、やはり何かしら動物に携わる仕事に就きたいと考えていました。 そして、犬の訓練師、ブリーダー、ペットショップ関係、動物園と数ある職の中で、どうせ目指すのなら視野を広くもち、動物だけではなく人間界も含めた、人と野生動物との共存や自然保護の問題をテーマに生きていきたいと考えたのです。

そのころから生態系のバランスの大切さや、そのバランスの二大象徴といわれるオオカミとシカの関係に目を向け始めました。 たとえばシカの問題にしても、シカが増えすぎたら被害があるから駆除を、逆にかわいそうだから保護を、というシカだけを取り上げた局部的な問題解決ではなく、シカとオオカミ=捕食者と被食者の関係、そして彼らと他のあらゆる生物や、それを支える大地との関わり全体を視野広く見た自然観に興味をもちました。 ただその考えをどのように自分の職に結び付けていくかが判らず、それをテーマに研究していくバックグラウンドもない状態でした。

そこで、オオカミをはじめ野生動物の宝庫であるアラスカ州にある、アラスカ州立大学へ留学し、将来の職に深く影響するであろう野生生物管理学を学び始めたのです。 しかし理由あって1年間アラスカで学んだのち帰国しました。
留学直前に今の妻と知り合ってしまい、当初は向こうで一緒に暮らしながら大学を卒業しようと計画していたのですが、妻は(当時はまだ結婚していませんでしたが)ほとんど英語を話せず、学生の身分の私は仕事をして二人の生活費を得ることもできませんでした。

 そこでいったん日本に帰国して、二人分の資金を溜め直して再度チャレンジしようということに決めたのです。
そして日本で英語の講師をしながら生活しているうちに、ある考えが浮かんできました。
アラスカで学位を取って研究者としてヘリコプターを使ってオオカミを捕獲して、テレメトリー(電波発信機)をつけ、生息調査をするのももちろん立派な研究だけれども、日本にいながらにして庭先でオオカミと体当たりのつき合いをして、その暮らしを通して研究するのもまた、誰も試みていないことであり、成果のあることだと考えたのです。
同じテーマをライフワークとするなかで、いくつか違ったアプローチの仕方があり、そのひとつとして、「オオカミと暮らすこと」を選んだのです。

 さて、そのオオカミたちとの暮らしですが、1989年にアラスカから帰ってくるときに一緒に連れて来た、1頭のオオカミ犬(イヌとオオカミの雑種)から始まります。 実家のある茨城県の貸家の庭先で、このオオカミ犬と暮らすうちに大手の動物商から(純粋の)オオカミを入手して、1995年に北海道に移り住むまで7頭のオオカミとヒョウ1頭という家族になりました。 その後、今暮らしている北海道標茶町にて子孫が増え、オオカミは19頭、そしてウマ7頭、ワシ1羽も加えた大家族になりました。

 現在夫婦二人だけですべての動物たちの世話、管理を行っています。
暮らしている土地は敷地面積約7000坪。 以前酪農家が暮らしておられたところなので牛舎があります。
古くからいる親オオカミたちはその牛舎の中にいます。 98年には約3000坪ある林のうち半分を高さ3.5mのフェンスで囲い、オオカミが自由に走り回れる運動場をつくり、その中に丸太でセミナーハウスを建て、ネイチャースクールを完成させました。 北海道に越してきてから生まれたオオカミたちは、主にこの林のほうにいます。 1日を通して彼らとのつき合いのなかで大切なのが「挨拶」です。 うちにいるほとんどのオオカミたちにとって、私たちが群れのリーダー=彼らのお父さん、お母さんです。 ですから私たちが柵に入ると、皆いっせいに飛びついてきて顔をなめたりかじったりします。
体重50kgのオオカミたちが助走をつけて飛びついてきて、頭や顔をがっぷりと食いつく、それが彼ら流の「遊んでくれ!」という挨拶なのです。 ですから常に生傷が絶えません。

あるときネイチャースクールで、参加者の方々にオオカミたちを紹介しているときに、1頭が私の顔に飛びつき、それをタイミング悪くよけそこない(普段は得意の中国拳法でかわすのですが)、鼻血を出したことがあります。
その時参加していた私の英語教室の生徒さん親子のうち、お母さんのほうが「先生大丈夫ですか!」ととても心配されていたのに対し、将来獣医になりたいという娘さんは、「先生はい、ちり紙」と、妙に冷静でした。

 このようにやんちゃで乱暴な連中ですから、躾もたいへんです。 うちにはジャーマンシェパードを始め犬も4頭いますが、オオカミには犬に対するような躾や訓練(座れ、待て、後づけなど)は行いません。 食事のときに数頭のオオカミがきちんとお座りして順番を待っていたら奇妙に映ることでしょう。
しかし、とくにオオカミたちが若いころには、じゃれて私たちの耳にぶら下がったりとやりたい放題をしますので、人間の皮膚の弱さを教える意味でも、体罰などを用いて躾をします。 体罰に関しては賛否両論がありますが、野生のオオカミたちの秩序も体罰によって保たれています。 野生におけるオオカミの群れのリーダーがメンバーたちに規律を教えていく、その方法を参考にして、たっぷりの愛情と厳格な厳しさをもって、日々彼らに接しています。

 私が本業の英語教室に出かけているときや、オオカミの研究にアメリカやモンゴルなどに出向いているときは、妻がひとりでその世話に当たります。 妻は太極拳の講師をしているのでが、その関係で東京の大会に参加したり、遠くは中国まで出向くことももあり、その場合は逆に私がひとりで留守番をします。 
妻を残して私が外出したときは何のトラブルもないのに、私がひとり残され世話をしていたときは、オオカミに噛まれたり(5針縫いました)、ウマが逃げたりといったトラブルに見舞われました。 噛んだオオカミはうちで生まれてよくなついてるオオカミですが、普段妻が世話をしているのと違う、ほんの一瞬のタイミングのずれのなかで起きたアクシデントでした。

 次号でも、さらなるアクシデントやエピソードに触れていきたいと思います。

  
独立独歩−挑戦のすすめ■これからの自然をみつめる
VOL. VOL. VOL. VOL. VOL. VOL.
The Neighbor 2003.7/Vol.353-2003.12/Vol.358