独立独歩−挑戦のすすめ■これからの自然をみつめる
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The Neighbor 2003.7/Vol.353-2003.12/Vol.358
これからの自然をみつめる vol. 日々の生活と変化 桑原 康生

オオカミ19頭、ウマ7頭、イヌ4頭、ヒョウ1頭、ワシ1羽という大家族での暮らしですが、365日のうち、ほとんどは変化のない単調な日々がすぎていきます。

 施設の清掃や、エサやり、イヌの散歩などは、毎日のルーティーンとして、ほぼ同じパターンで進められていきます。 他の作業としては、季節ごとにメニューが変わってきますが、たとえば春から秋にかけては、施設や柵の修繕、そして長い冬は、トラクターやバックホー(ユンボ)まで総動員しての除雪があります。
実際、この施設関連の作業にかなりの労力とお金が必要となります。 プロにすべて任せる資金はありませんので、基本的な施設や、セミナーハウスの基礎工事などプロの技術が必要なところは多少の無理をしてもお任せしますが、自分たちで作業可能なところは極力自分たちで、という方針です。 たとえば、セミナーハウスのログキャビンはアメリカから個人で輸入し、組み立ては、もと大工さんをしていた友人たちの指導のもと、仲間内で完成させましたし、柵の穴掘りや冬の除雪は、中古で購入したトラクターなどの大型機械を駆使して自分たちで行います。 うちの妻も北海道に引っ越してきてから見よう見まねで、トラクターなどの使い方を覚えていきました。

 自然保護を語るネイチャースクールに、ユンボなどの大型機械があると、一見ミスマッチに映るかもしれませんし、私も山を歩いているときに、木の伐採地などに置いてある黄色いブルドーザが突然目に飛び込んでくると、機械=自然破壊というイメージを受けます。 しかし問題なのはその使い方であって、パワフルな機械をいくつも使って森をことごとく伐採、整地していけば、場合によっては自然を壊すことにもなるでしょう。
確かに機械を使っていると、そのパワフルさに、その気になればどんな無茶もできそうな感じを受けますが、同時に頼もしさ、ありがたさも痛感します。 実際、機械ひとつなければ、私のところでは生活もままなりません。
ブルドーザ=「善か悪か」なのではなく、たいせつなのは、その文明の利器のありがたさを十分に感じて、なおかつその力を使いすぎないように節度を保って利用することだと感じます。

 さて、その肉体的重労働以外はとくに目新しいことのない毎日ですが、そんな中にもごくたまにとても大きな変化があります。 それは彼らの生と死です。 そのうち、まず「生」のおおもと、彼らの誕生のところからお話ししたいと思います。

 夫婦二人ですべてを管理していますので、養える家族の規模にも限度があります。
たとえば、オオカミで20頭前後くらいが限界かと思われます。

 現在、繁殖可能な雄雌が数頭いますが、それぞれのペアが1年に5頭ずつ仔を増やす能力をもっています。
もし彼らの意のままに任せておくと、2〜3年で「オオカミ数10頭と暮らす夫婦」になり、あっという間に私たちも、肉体的にも金銭的にも寿命を迎えてしまいます。 ですから群れのリーダーたち、つまり彼らの親代わりである私たちの一存で、彼らの寿命などを考慮に入れながら、その年に交尾させるかどうかの繁殖計画を立てていくわけです。
親たち(私たち)が彼らの繁殖を希望しない年には、繁殖期だけ雌雄を隔離するという荒業を使うのですが(といっても2週間ほどですが)今年は久しぶりに新しい世代を、というときには雌雄を一緒にしておきます。
するとごく自然に新しい命が誕生してきます。

 北海道に移ってきてから5回の出産(重複するペアも含めて)を経験しましたが、毎回、誕生のそのあとが大変です。
母親に任せておけばすくすくと育つものですが、リーダーである私たちへの顔見せや馴致のために、また、母親の育児作業軽減のためにも、生まれて2週間ほどたった子どもたちは、自宅内で人工哺乳をします。 
はじめの1週間は昼夜を問わず2時間おきにミルクを与えます。 妻と交代で寝起きして哺乳するのですが、1頭飲ませ終わるのに10分以上かかります。 5頭いると全部飲ませ終わるのに、約1時間、終了後すぐにミルクを人肌に温めたり次回の準備をしているうちに、また次の回がやってきますので、二人で手分けしてもほとんど寝る暇はありません。
このことがニュースに取り上げられ、幾度かテレビなどの取材を受けましたが、その映像のなかで、赤ちゃんオオカミたちが休む暇もなく活発に動いているのに対して、私たちは起きているのか寝ているのか判らないような魂の抜けきった表情をしていました。 それだけ手塩にかけて育てますので、ほとんどが健康に育っていきます。
しかし、なかには順調にいかない場合もあります。 つぎはそんな彼らの「死」の部分にも触れたいと思います。

 野生のオオカミは地域差もありますが、生息環境の厳しいところでは、5頭生まれたうち、その年の冬を乗り越えて翌年の春を迎えられる確率は約20%、つまり1頭だけ。 一方うちでは、今までに生まれた17頭のうち、生まれた直後、もしくは生後3週間以内に死亡したのは4頭、大きく成長してからが1頭です。 ちなみにこの1頭は、ネイチャースクールを開いている最中に、お客さんの前にどこからか雑巾をくわえてきて、一度は取り上げたのですが、また見ていないところで飲み込み、腸閉塞になり死んでしまいました。

 生まれた時に何らかの原因で死亡(もしくは死産)というケースが2例。 たいてい出産の瞬間に立ち会うことが多いので、新生児が呼吸をしていないときはすぐに母親から取り上げ、鼻から汁を吸出し息を吹きかけて人工呼吸をし、蘇生を試みるのですが、成功したことはありません。 ちょっと目を離したすきに親に踏まれたりなどの、事故の可能性も考えられます。

 無事生まれたのちに、母親の乳が出ずに死んでしまったものもいます。
もちろん、様子をみていておかしいと思い、すぐに取り上げたのですが、結局人の手からはミルクを飲まずに、獣医さんのつてで仔を生んだばかりのイヌの乳を飲ませてもらいましたが、それでも3頭のうち1頭しか生き残りませんでした。
人工哺乳で育てる場合でも、最初の2〜3日は母親からの初乳を飲ませなければ免疫抵抗力もつかず、弱ってしまうのです。 ですから、保育はある意味での、母オオカミとの共同作業になります。 個体差がありますが、概して母オオカミ(もしくは雌オオカミ)は私に信頼を寄せていてくれて、赤ん坊を拾い上げても、とても心配そうな表情はしながらも、黙って見ています。 さすがに仔を生んだ直後に小屋に手を入れて赤ん坊に触れようとしたときには、噛みつかれましたが、それでも雌オオカミに唸られて撃退されるじつの父親である雄オオカミよりは、はるかに信頼されているようです。

 野生では父オオカミは、子どもが巣穴の外に出てくるようになる1ヶ月くらいまでは、巣穴の中に入れてもらえず、外で番をしたり、獲物をもってくるという役に徹しているようです。
彼らは私たち夫婦の性別もよく見極めていて、雌オオカミは、本業の英語教室が忙しく、普段あまり接することのない私でも、たまに顔合わせをすると大喜びで飛びついてくる一方、妻に対しては、毎日接してエサをあげているにもかかわらず、唸ってキバを見せたりするものもいます。 逆に雄オオカミは、とくにリーダー意識を強くもっているものは、繁殖期に私に向かってきて、噛まれて13針縫う傷を負ったこともあります。 その時は、オリの外にいる私には挑みかかってきましたが、そのオオカミと一緒になかにいた妻にはいっさい敵意を見せませんでした。

 以上のようにあまりこれといって変化のない日常ですが、とにかく毎日彼らと体当たりで付き合っています。
彼らが野生のオオカミで、それを遠くから観察している状況であったり、単なる研究対象という存在であれば、1頭、2頭ケガをしたり死亡しても、「よくあること」で済ますことができるでしょうが、うちにいる連中は違います。
ケガをすれば苦労して獣医さんに連れて行きますし、死にそうになれば最後の1秒まで看病します。
それでも助からなかった場合には、一家全員で大泣きします。 家族ですから。


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