独立独歩−挑戦のすすめ■これからの自然をみつめる
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The Neighbor 2003.7/Vol.353-2003.12/Vol.358
これからの自然をみつめる vol. オオカミ再導入の可能性 桑原 康生

 前回、オオカミはバランスのとれた自然の象徴であり、生態系にとって欠く事の出来ない存在であることをお話ししました。 私自身、日本の野山を再びオオカミが走りまわる姿を、誰よりも見たいと願っています。
では、バランスを失って転ぼうとしている日本の生態系に、その救世主として、一度は絶滅したオオカミを再導入することはできるのでしょうか。 
現状では、さまざまな問題があげられます。 そのうちいくつかについて考えてみたいと思います。

 まず一番先に挙げられるであろう、人に対する被害=「オオカミは人を襲うか」。
この問に対しては、私のなかでは「オオカミは基本的には人を襲わない」と結論づけています。
「基本的には」、ということは同時に例外もあることを意味します。 数多くある、中世ヨーロッパのキリスト教信仰および牧畜生活を背景とする、「神の子であるヒツジを襲うオオカミは悪魔=人を見たら食いかかる」というイメージ的つくり話は別にしても、現実にオオカミが人を襲った記録はいくつかあります。

その代表的なものが、狂犬病にかかったオオカミの例。 実際に狂犬病にかかると、イヌはもちろん、キツネもアライグマも危険になります。 ちなみに日本では、昭和30年代前半に狂犬病は根絶されているそうです。
つまりは、健康なオオカミはほとんど人を襲わない、ということです。
ただしここでも「ほとんど」であって「絶対に」とはいえないのは、状況によっては、ごく幼い子どもに対する被害が考えられるからです。 インドの山村では、両親が山へ仕事に出ている最中に、暑さのため家の外で寝ている幼い子を、オオカミがさらっていく事件が報告されています。 ただしこの事例は、まわりに大人がいなかったり、集落が孤立しているなど、状況的にも非常に稀なケースといえます。

 一方モンゴルでは、私たちがオオカミ調査に、日に40kmも山の中を歩いて、オオカミの足跡や糞は多数目にするのに、実際のオオカミには尻尾の毛の先にも出会うことはありませんでした。 そのくらいオオカミは人に対する警戒心が強いのです。 モンゴルにはかなりの数(現地の研究者の話では3万頭ぐらいだそうです)のオオカミがいるのですが、まわりにごく自然にオオカミがいる環境に暮らしている遊牧民の人たちは、オオカミが怖いという意識をもっていませんし、日本の小学生ぐらいの子どもたちだけで、ヒツジの放牧に出たりしています。 またモンゴルでは家畜が襲われるので、オオカミを駆除しています。ですから、オオカミは人を襲うどころではなく、逆に人を恐れ、避けて暮らしています。

面白いのは、オオカミを見た事がないという遊牧民のなかには、オオカミが人を襲うと考えている人もいるということです。
日本でも、オオカミがいた当時は、とくに本州では、畑作に被害を与えるシカやイノシシを退治してくれるオオカミは、むしろよい動物であったはずですが狂犬病が入ってきて以降は怖い動物になり、やがて絶滅して実際に目にすることがなくなると、童話の影響もあり、人を襲うイメージが定着していったのだと思います。

 私の訪れたポーランドのピエスチャデという村では、アカシカ、イノシシ、そしてオオカミと人が共存しています。
日本ではオオカミ再導入が語られるとき、研究者の間でも懸念されるのが、「アメリカやモンゴルなどの諸外国の例を出しても、国の面積がまったく違うので、そのまま日本に当てはめることはできない。 日本は狭くて、もうオオカミが自由に走りまわれるスペースはないのではないか」という点です。

これに関して日本オオカミ協会によると、ポーランドのピエスチャデの村と、たとえば栃木県日光市の人口密度を比較してみると、ピエスチャデのほうが人口密度が高いということです。 ですから、オオカミが生息するには、人のまったくいない広大なスペースが必要であるというイメージに反して、人の集落とオオカミの生息域がオーバーラップしても、オオカミは人家近くを避けて活動するので問題はないとのことです。

 つぎに挙げられるのが、家畜に対する被害とその解決策です。
アメリカ、モンタナ州のイエローストーン国立公園では、過去にオオカミを人の手で絶やしてしまったために、大型のシカ、エルクが増えすぎ植生が変化し、他の生物に大きな影響を与えたり、オオカミがいなくなったあと、コヨーテが数を増やし、その結果、獲物を共有していた猛禽類が激減したりと、生態系のバランスが崩れてしまいました。
そのバランスを取り戻そうと、合衆国連邦政府が中心となり、1995年にオオカミをカナダから再導入しました。
オオカミ導入後、私も何度かイエローストーンを訪れ、現地の研究者の方々から話を伺っていますが、生態系に与える影響としては、もちろんよい経過を辿っているようです。 しかし、やはり人との軋轢があるようです。
人に対する直接的な被害ではなく、人の飼育する家畜に対する被害です。
最近、オオカミによる家畜の被害が増加したため、連邦政府は、家畜を襲ったオオカミに限り駆除してもよいという法律をつくりました。 すると今度は、動物愛護団体を中心に反対の声が挙がります。

 日本においても同様です。 日本オオカミ協会がオオカミの再導入を呼びかけると、オオカミを愛する団体から批判を受けます。 家畜を襲うなどの理由で、人の手でオオカミを滅ぼしておいて、シカが増えたといっては、今度はオオカミを勝手に外国からつれてきて、シカの駆除に利用し、そのオオカミが家畜などに被害を及ぼすとまた駆除をする。
また同じ過ちを犯すのか。 とんでもないエゴだ、と。

確かにオオカミ再導入に関しても、生態系の他のメンバーたちと協議するわけではなく、人間というただ一種の生物の独断による活動であるという点では、エゴという表現が当てはまるかもしれません。 しかし、同じ人間によるエゴでも、人間の利害のみを追及してオオカミを滅ぼした100年前のエゴと、その後の経過を見て、その行為を反省し悔い改めて、人間の利益のみならず、人もその一メンバーであることを頭に入れ、生態系全体の保全を考えて行動を起こすエゴとは、同じエゴでもまったく違うものだと思います。 一番の違いはその動機、そして目的です。

シカの被害をなくすためだけの駆除に対して、シカを大切に思い、そのバランスを保ち、シカにとっての適正数維持のための駆除。 オオカミの被害をなくすためにオオカミを滅ぼしたエゴと、生態系のバランスを保ち、健康な自然を維持するためにオオカミを再導入するエゴ。 みなさんはどうお考えですか。

以上挙げただけでも、啓蒙活動によって、比較的早いうちに解決可能な懸念から、一人ひとりの意識に関わる複雑な問題まで、いろいろと予想されます。 オオカミは通常、人を襲いません。 これは北海道のヒグマに対しても当てはまりますが、彼らが人に対して警戒心を持っていてくれ、それがいい意味での緊張感を生み、人との距離を保っているからです。
しかし、近年北米で報告されている例のように、餌づけなどをして人の側からその緊張感を破ってしまうと、危険な存在に変わってしまいます。 彼らの存在をたいせつに思い、共存を願えばこそ、不必要に近づかない、また近づけないことがたいせつだと思います。  

 オオカミ再導入には、一人ひとりに対する啓蒙活動や、家畜の被害に対する補償制度など、同時進行で取り組むべきさまざまな問題が出てきますので、実現されるのが5年後か10年後か、はたまた私が生きている間に実現されるのかさえまったく見当つきませんが、今はいろいろな立場から意見を出し合って、日本の生態系に関して議論するべき時期であると思います。

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