独立独歩−挑戦のすすめ■これからの自然をみつめる
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The Neighbor 2003.7/Vol.353-2003.12/Vol.358
これからの自然をみつめる vol. 体験と知識 桑原 康生

 前号までに、私のネイチャースクールのテーマであります、「オオカミの目を通して自然を考える」という視点から、人と野生動物との共存、生態系のバランスのたいせつさなどにふれてまいりました。
今回は、私が自然に接する際の大きなキーワードとなると考えています、「体験と知識」についてと、それに関連する環境教育についてのお話をさせていただき、連載の締めくくりといたします。

 みなさんは、ハンググライダ-で風に乗り、自分の眼下をタカが舞っている姿を見た事がありますか。
私たちは三次元の世界に生きています。 しかし地球という規模のなかで地上という平面に暮らしていることを考えると、二次元の世界に近い気がします。 そんな二次元の世界に生き、普段下から見上げている鳥。
その鳥を上から見下ろすような、立体三次元的な視野をもつ、そんな体験をされたことがありますか。

みなさんは、真冬の雪原をウマにまたがり爆走し、叫び声を挙げたことがありますか。
まったく音のない厳寒の張りつめた世界で、ウマの駆ける音とともに自然に湧き上がってくる感動、そして叫び声。
まさに自分の魂の叫びです。 そんな経験をされたことがありますか。
私はあります。 
この、言葉では言い表しにくい「フィーリング」を自然のなかで体感することが、自然について考える大切な一歩だと感じています。

 以前、私がネイチャースクールの他に、英語教室を開いているお話をしました。 その英語教室の一部の生徒たちは、「冬が近づくと寒くていやだ、気分が暗くなる」といいます。 私が「スノーモービルに乗ったり出来て、冬も楽しいでしょう」というと、乗ったことがない、という答えが返ってきます。 本州から越してきた私たちよりは、北海道で暮らしてきた経験の長い地元の子どもたちのなかに、冬の北海道の雪原の楽しさを知らない生徒がいるのです。
そこでうちに招き、一泊二日のスノーモービル、乗馬&バーベキュー大会(?)を開いたところかなり好評で、「つぎはいつ?」とよく聞かれます。

 私の環境教育のポイントは、「いろいろ体験すること」です。
とくに子どものうちは少々やんちゃをやってもいいから、いろいろ挑戦してみることが大切だと思います。
みなさんのなかにも経験のある方もおられるでしょうが、昆虫採集をして、緑や赤の液体を使って、標本を作ったり、カマキリに爆竹をつけて吹き飛ばしたり、今から思うとぞっとするようなこともしました。
この「子どもの頃は平気でやっていたけれど、今考えればとてもできない」という心の変化が大切だと思います。

やんちゃで残酷な経験を経て、命のたいせつさを知り、かわいそうと思う心が育っていく。 テレビの自然番組のなかで、オオカミがシカを狩る姿を見て、「シカさんかわいそう」と思う。 そして大人になるにつれ、ひとつの命を大切にしながらも全体のバランスに目を向け、生態系のなかでのオオカミとシカの関係、他のメンバーとの結びつき、そしてその環のなかに我々人間たちもいることを、アウトドア活動などの体験を通して理解していく。 
私の場合は、ハンティングやフィッシングを通じて他の命をいただき、恵みを得ると同時に、自然に入ることにより、シカや魚の美しさやその生きる環境の大切さを体感します。

 自然保護を語る時、自然に対するダメージという言葉をよく耳にします。 ほんの日帰りのピクニックですら、人が一歩山に足を踏み入れれば、ダメージを与えます。 自然を完璧に守るには、守るべき地域を柵で囲い、一歩も人が立ち入ることのできない環境を作れば、ダメージはなくなるでしょうが、それで守るべき自然のよさ、なぜ自然を守るべきかを理解することができるでしょうか。 私は逆に自然にどんどん入っていって、その素晴らしさを体感していくべきだと思います。
 
「スノーモービルは爆音を立て、キツネや小鳥たちを追い散らし、2ストロークエンジンの排気ガスが空気を汚す」といって敬遠し、「カヌーは水鳥の営巣地を荒らすので乗らない」のではなく、まずは雪原を爆走し、葦の茂った川面を走り、理屈抜きの楽しさを肌で感じる事から始める。 そしてその体感を通して、たとえば高山植物の保護のために立ち入りが禁じられている場所には乗り入れない、などのルールを少しずつ身に付けていったり、水鳥の営巣期は避けて楽しむなど、まわりのことにも気を配る目を養っていけばよいと思います。

いずれにしても近所にシカが出てくるような、都会の方から見ればいわゆる「自然」のなかに暮らすものにとっては、ここから先は自然である、などの境界はないので、むしろ人もその一部として節度を持って、そこに身を置くことを積極的に楽しむべきだと思います。

 さて、ネイチャースクールも私のライフワークの核となるものですが、一家を支える収入はほとんどが英語教室からですので、ある意味では現段階では、こちらが本業です。 この英語教室のほかに、妻とともに中国拳法教室も開き、それ以外に趣味として(私自身はあまり「趣味」と表現することはすきではありませんが)、居合道、ハンティング、フィッシング、スノーモービル、乗馬、音楽バンド、オープンジープであちこち走り回ること、などがあります。

趣味の話をすると、「さまざまな違ったことにチャレンジされていて、お忙しいでしょう」というコメントをいただくことがあります。 「お忙しい」ところは大当たりですが、じつは本人のなかでは、「さまざまな違うこと」をやっている意識はなく、本業の英語を始め、拳法からジープまで、むしろ全部つながっているのです。

動物に関する知識を得る場合に、とくにオオカミのような日本にはもういない種について知るには、英語は欠かせません。  アメリカでの研究が主に知識の源になりますが、「オオカミは北半球の北緯20度以北に幅広く分布し・・・」と英語で書かれている資料を読む際に、「Wolf」からひと言ずつ辞書を引いていたのでは先に進みません。
日本語を読むのとほぼ同等の読解力を必要とします。 中国拳法、居合道は、平和な昨今あまり必要ではないように思えますが、オオカミの研究にモンゴルや各地を足でまわる際に基礎となるのは体力です。

また、うちにいる50kgになるオオカミが助走をつけて飛びついてくる、少々乱暴な挨拶をまともにがっしりと受け止めていたら体がもちません。 そこで有効なのが太極拳の化徑(かけい)で、相手のぶつかってくる力を受け流す技です。 
さらに自分のうちでも国内外のフィールドにおいても、いろいろな面でも何かと危険に接する可能性もありますが、そんなときに大切なのが極力冷静さを失わない事。 居合道ではその胆力を養うことができます(というほど危険な目には、今の所遭っていませんが)。 その他の趣味も「自然と接する」という共通項の中でつながっています。

さまざまな活動や経験を通して知識を身に付け、自分の自然に対する接し方をみつけていく。
そして、それらの活動の価値を再認識して、さらに磨きをかけていく。
私は英語の生徒たちとともにイエローストーン国立公園に足を運びますが、その「知識と経験」のたいせつさを子どもたちにも理解してもらえれば、というのがねらいです。

自分の夢、将来に関係付けて、たとえば生態学を学びたい、動物の研究をしたいといった時に、今学校で習っている一見つまらない、「自分の将来に関係ない」英語が、そして数学がどう活きてくるのか。 
洋書の資料を読む必要性、生息数調査をする際の微積分の必要性、オオカミの絶滅の裏にある歴史的背景などなど、もちろん個人差は、ありますが、いずれの分野においても必要なものです。
未来をリードする子どもたちにはさまざまな体験をして、またできるだけの知識を吸収して、積極的に生きてほしいと願います。

 最後になりますが、うちの動物たちから学ぶこと。
オオカミは1頭1頭が、毎日を生きたくて生きたくて、それでも生存できるのは、野生では、5頭のうち1頭だけ。
そんな彼らの命がけで生きている様や、極寒の猛吹雪のなか、じっと立って耐え忍んでいる馬たちを見ていると、生きる厳しさを教わるとともに、生きることへの積極性を痛感します。
だからこそ、月のエサ代が20万かかろうとも、彼らががむしゃらに食べている姿に、ともに生きる幸せを感じるのです。

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